Quantcast
Channel: 旅はブロンプトンをつれて
Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

鎌倉にある杉原千畝の足跡にブロンプトンをつれて(その3)

$
0
0
イメージ 1

(その2)からの続き
霊園の中では最下部に位置する大刀洗門から、鎌倉霊園の中へ入ってゆきます。
鎌倉霊園というのは、某デベロッパーが開発し、その創業者のお墓があることで有名です。
しかし、実際は宗旨宗派ごとに区画が分けられていると聞きました。
なお、目指す杉原千畝氏のお墓は、かなり上の方の29区5側にあります。
当然霊園のなかを登ってゆくわけですが、ここまで来てから改めて気がつきました。
霊園内には日陰がほとんどありません。
加えて、墓石群がまさに焼け石になって蓄熱している状態で、中へ入れば入るほど、サウナの中みたいに暑くて我慢できなくなります。
園内は熱中症予防のアナウンスが断続的に流れています。
来るなら断然冬ですね。
イメージ 2

西向きの斜面の道路からすぐ上の区画に、ほかのお墓と全く同じ大きさで、杉原家の墓はありました。
杉原千畝氏はロシア正教徒だったから、お墓もキリスト教式を想像していたのですが、ごくごく普通のお墓です。
この霊園のてっぺんにある、創業者のお墓がそうなのですが、ひとりだけ大きくするというのはどうなのかなと思います。
北鎌倉の東慶寺にある哲学者や事業家のお墓がそうですが、墓石など何も書いていない小さな石が苔むしていて、故人が「人間の一生なんて、しょせん川面に浮かぶ泡のようなものです」といっているような気がして、趣があるのですが、こうして一般のお墓然としている方が、カラッとしたものを感じます。
イメージ 3

 
お墓に手を合わせて背を向けると、氏の語録にある”Vaya con Dios!”というスペイン語を思い出しました。
これは氏とリトアニアのカウナスで杉原領事と交流があったユダヤ人少年が、別れ際にかけられた言葉だそうです。

スペイン語で「道中ご無事を」という意味の改まった表現なのですが、これから長旅に出る人にかける言葉ということです。
(有名な“Adiós muchachos”『友よ、さらば』よりもやや格式ばっているそうです)

直訳すると”Vaya”が「行く」という動詞で、“con Dios”は英語でいう“with God”つまり「行け。神とともに」となります。
これは、ミサの最後に司祭が会衆に向かってかける言葉のニュアンスとそっくりです。
現代日本のカトリック教会では、「行きましょう。主の平和のうちに」というのですが、元のラテン語“Ite missa est”はもっと強い調子で、「行け。汝を(神と共に)去らしめん」くらいの意味だと教わりました。
イメージ 4

 
杉原氏が堪能だったロシア語でもドイツ語でもなく、スペイン語のこの表現を選ぶとは、彼は本当に外国語に造詣が深かったのだと思うとともに、信仰の厚い人だったと感じます。
当時はビザが発給されたからといって、それは日本の通過ビザであり、仮に無事目的地に着いたところでそこに何が待っているかは分かりませんでした。
また、ビザを持っていても、経済的に余裕がないとシベリア鉄道の切符も買えず、当然袖の下も使えませんから、手前のソ連で難民として検挙されてしまうこともしばしばあったといいます。
さらに独ソ戦がはじまってドイツ軍がソビエト領内深く侵攻すると、文字通りナチスのユダヤ人狩りに遭って、問答無用でその場にて射殺または強制収容所へ送られてしまった人たちも多数いたといいます。
だから、「この先何があっても、神がついていますから」という意味の、この言葉を餞にしたのでしょう。
前述のユダヤ人少年は逃げ遅れてしまい、強制収容所生活を生き延び、偶然米軍の日系二世部隊に救出された体験と併せて、のちに“Light One Candle(邦題『日本人に救われたユダヤ人の手記』)を著しています。
イメージ 5

私はこの美談でもってやっぱり日本人の心根は美しいなんて、ステレオタイプな感想はもっていません。
どこの国の人間であれ、自分がかわいいから保身に走って他人の不幸にはめをつぶり、逆に自分の事績は過大に誇りたがるものです。
戦後、杉原氏は外務省を辞めさせられて不遇の時代にあって、ご本人自身は一切抗弁をしていません。
彼のように自分の運命にきちんと向き合い、それを粛々と受け容れる人というのは稀有な存在です。
死後に名誉回復がなされる時ですら、外務省はそれを渋り、「杉原はユダヤ人からカネをもらってビザを発給したのだから、生活に困ってなかったろう」と事実に反するデマを流すひとや、いくら人命を尊んだとはいえ、当時の状況で国を窮地に追いやるのは「国賊だ」と罵倒した人がいたとうのは前述したとおりです。
国に関係なく、偏狭な考えにとらわれ、または自分の側が間違っていたと認めたくないばかりに、正しい考えや行いを批判する人というのは存在するものです。
イメージ 6

人間である限りは、つまり自分は神さまではないということを知っているのなら、どんな立場の人であれ、命の危機が迫っている人に対し救いの手を差し伸べるのは、当然のことだと思うのですが、そういう話は青臭い理想主義だと切り捨てる人もいます。
(その1)で書いた広田弘毅元首相は、極東軍事裁判において、周囲に累が及ぶのを防ぐために、一切の弁明を行わなかったといいます。
その点、自己弁護をして罪を逃れた木戸侯爵は、広田のその態度を「立派だけれども、つまらない事だと思うのだ」と話していたとききます。
確かに、生き延びて戦後の日本で活躍する事の方が大事という考え方もあるでしょうが、ひとがひとのために命をなげ出すという行為について、「つまらない」のひとことで済ませてしまう人の方が、人の生きる意味を考えてないように感じてしまうのは、私が歴史オタクだからでしょうか。
イメージ 7

 
杉原氏が敬虔な正教徒で、困窮しているユダヤ人たちを見たときに聖書の句を思いだしたことも含め、そのとき、その場所で領事をやっていたのが彼だったのは、天の配材だったのでしょう。
そんなことを考えながら、鎌倉霊園もかなり上の方までのぼってきてしまったので、峠のてっぺんにあたる朝比奈西門から出ます。
金沢文庫駅行き路線バスの経路通りに下ってゆきます。
横浜横須賀道路朝比奈インターの前を通り抜けるのですが、インターチェンジ付近の歩道は進入路・退出路の関係から、歩道は地下道で迂回を強いられ、割を喰います。
しかし、朝比奈インターチェンジというのは利用したことのある人ならお分かりの通り、山の中にあって他に迂回路もなく、交通が集中して渋滞しやすい場所です。
週末の午後など、横浜・東京方面へ戻る車の大半はこの道を利用するため、鎌倉・鶴岡八幡宮前の交差点からここまでたった5㎞の区間なのに、車が数珠つなぎで路線バスを利用して2時間もかかって通り抜けたなどという話をよく聞きます。
鎌倉霊園にお墓のある人は、お彼岸やお盆などの週末は、早朝でもなければ近寄れないとききました。
イメージ 8

 
金沢八景の駅までブロンプトンで走り、そこから京急線を利用しました。
お隣の金沢文庫駅でわざと各駅停車に乗り換えます。
京急線の各駅停車は、優等列車に抜かれることが多いので、座れる確率が高くなります。
今回、暑いさなか(8月)にまわりましたが、季節は冬がお勧めです。
また、杉原千畝氏の業績について知りたい方は、下記の場所を訪ねてみてください。
・杉原千畝記念館(岐阜県加茂郡八百津町)
本は有名どころを一冊ご紹介しておきます。
「新版 六千人の命のビザ」杉原幸子著 大正出版
イメージ 9

イメージ 10


Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

Trending Articles