Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

旧東海道橋の長さランキング

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

いままで最高所ランキングだとか、宿場間最長、最短ランキング、中間地点はどこかなどいろいろマニアックなことをやってきました。
しかし、旧東海道は橋(日本橋)にはじまり橋(三条大橋)におわります。
しかも途中にこれだけたくさんの橋を渡りながら、比べてみない話はない!というわけで、今回のお題は橋の長さランキングです。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 2
(六郷橋からみた川崎の開発地区)

江戸時代の東海道は、軍事防衛上から大きな河川には橋を架けず、わざと人力補助による渡しを制度化していたことは、関所の設置とともに小学校の社会科で習うところだと記憶しています。
いわゆる「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という言葉に代表される歴史です。
しかし、実際に東海道を歩いたり自転車で走ったりしてみますと、当時の土木技術では、治水面も含めて架橋が困難であったことを実感します。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 3
(馬入橋からみた東海道本線、このあたりでは東海道線も長いのです)
 
南北朝時代に天竜川に舟橋が掛けられていて、追撃する足利軍がすぐに掛け直すことを見越して、新田軍が橋を破壊せずに退却した故事は有名ですが、舟橋のような仮設橋ならともかく、大雨のたびに橋脚の上が流されるのでは、大橋を架けても経済的に割に合わなかったのでしょう。
江戸時代の東海道では、起点と終点にある三条大橋と日本橋のほかに、琵琶湖の出口に架かる瀬田の唐橋、岡崎宿の西にある矢作橋、源頼朝の落馬事件で有名な相模川に架かる馬入橋が有名だったようです。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 4
(宇津ノ谷の山を正面に見ながら安倍川橋)
 
橋の技術が進歩するのは、ヨーロッパにおいても産業革命によって一定の強度をもった鋼材が出現してからであり、鉄筋コンクリートの橋もその100年後から建設されるようになっているので、現在の橋を支えている技術は比較的新しいといえます。
もし、橋の技術面でのことに興味があるのなら、しまなみ海道やとびしま海道を自転車で巡ることをお勧めします。
橋脚をしたから見上げては、えっちらおっちらと登坂することを何度も繰り返しますので、嫌でも橋について興味がわくと思いますよ。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 5
(富士川橋から見る富士山)

また、いにしえの橋について興味がおありでしたら、『日本の橋』五十畑弘著 ミネルヴァ書房を読んでみたらいかがでしょう。
私は本屋さんで斜め読みした程度ですが、橋の歴史や構造だけでなく幕末から明治にかけての西欧文化と日本文化の出会いにおける橋の見え方や、日本の文化における橋の認識され方など、興味深い内容が並んでいました。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 6

旧東海道を江戸(東京)から京(京都)へ向かう際に登場する主な橋は、上記の通りです。
ただ、幅員が不明なものもありましたし、長さが不明な橋(酒匂橋)もありました。
その場合は、距離を地図上で測って、長さが300mに満たないと判断して除外しました。
なお、スタートとゴール両地点に架かる日本橋と三条大橋、それにむかしから有名な瀬田の唐橋はその名声ゆえにリストに載せたものの、長さではランク外としました。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 7
(対岸が霞んでいる大井川橋)

この三橋のなかでちょっと残念なのが、三条大橋と瀬田の唐橋です。
デザインに意匠は凝らしているものの、構造はそっけないコンクリートの橋であったからです。
それに対して日本橋はリストに登場する橋の中でも最古参ですし、構造的にも歴史的にも名橋なのだと知りました。
あの上を塞ぐ首都高速道路を取り除きたいという思いも、よくわかります。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 8
(西浜名橋歩道橋からみた東海道新幹線。上空の雲の筋は冬のジェット気流です)
 
それでは、長さの順位表を下から順に見てみましょう。
江戸時代は街道随一の大橋と言われた矢作橋が最下位です。
川の規模からいえば仕方なしということでしょうか。
逆にいうと、矢作川くらいの規模の川が、当時の技術では架橋の限界であったことを示しています。
それに対して、9位が富士川橋というのは川の水量や規模からして意外です。
富士川橋の位置が、山間から扇状地に出てきた直後の場所にあるということで、この長さなのでしょう。
江戸時代の同地点の治水の難しさを考えたら、現代においても架橋の難しさは、橋の長さに比例しない好例かもしれません。
8位の六郷橋は、幅員が34.4mということで、このリストのなかで一番「ふとっちょ」のため、実際より長く感じます。
わりと近所にあるせいか、多摩川に架かる他の橋と比較してしまいます。
いつもブロンプトンで渡っている丸子橋と比べると、残念ながら橋の趣がないのです。
構造のせいだと思いますけれども。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 9

 
逆に細いから短く感じるのが7位の西浜名橋脇の歩道橋です。
今切れの渡し(汽水域)に架かっているせいか、橋脚がかなり傷んでいる旨を記事で読みました。
また、すぐ北側に東海道本線と東海道新幹線の橋梁が並行しているため、渡っている途中で新幹線に追い抜かされながら、「あれに乗れば小一時間で京へ着くのに、自分は何をやっているんだか」と感じる橋でもありました(笑)
6位の安倍川橋も、富士川橋同様にそんなに短かったかなというイメージです。
あの橋は、手前の街中から渡るとどんどん山中に入ってゆく感じで、此方と彼方が強調される橋でもありました。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 10
(新新天竜川橋。左側に見えているトラス橋がかつての難所です)
 
これが5位の馬入橋になると、とくに歩いているときには長く感じました。
この橋もすぐ横の海側に東海道本線の鉄橋があって、渡っている最中に頻繁に列車が往き来するものだから、渋滞している道路を尻目に「鉄道って便利だな」と感じたものです。
4位の尾張大橋は、東京側からゆくと大井川橋同様に渡るのをたじろぐ橋です。
構造がトラス鋼橋だから、車の通過に合わせて揺れるのも原因だと思います。
その点、架橋されて間もない3位の新新天竜川橋は、歩道は広いし全然揺れませんけれども、橋を渡っているという実感が湧きませんでした。
なにか高速道路のような高架橋の上をひたすら進んでいる感覚です。
もっとも、お隣にかかっている天竜川橋(歩道のスペースは皆無で車道にも幅員に全く余裕がなく、かつては歩行者にとって現代東海道随一の難所といわれていました)を渡ろうとは絶対に思いませんでしたけれど。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 11
(尾張大橋)

2位の大井川橋は、もうトラスの数(17連は最多で、彼方が霞んで見えません)を数えようとしただけで渡るのが嫌になる橋でした。
そのあとに、箱根に次ぐ難所が待ち構えている点でも、「覚悟を決めて渡る橋」になっていると思います。
そして栄えある第1位の伊勢大橋ですが、2つの川が一緒になっている地点に架橋されていますので、長くて当たり前です。
しかし、大井川橋もそうですが橋の長さが1㎞越えてしまうと、渡るのに時間がかかるせいもあって、風の影響をもろに受けます。
また渡っている間は景色が単調で変化に乏しいせいか、頭の中で「死後に渡るといわれている三途の川も、こんなに幅があるのかな、あれ?橋はかかっているんだっけ。渡し賃が六文だから、渡し船があるのかな。もし金を持っていなかったら、渡し業を手伝ってアルバイトしろとか言われたりして…」などと変なことを考えてしまうのでした。 
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 12
(塗り替え中の伊勢大橋。トラスがゲームのインベーダーに見えました)

でも、こうしてみるとむかしの国境になっている橋は尾張・伊勢の両大橋くらいで、ほかは境界になっておりません。
県境になっているのも、それに六郷橋を加えたくらいで、旧東海道での国境は川よりも峠が多かったのだと確認できます。
それでも、日本人の感性の中で川は此岸と彼岸を分ける境界ですから、そこに架かる橋を渡っている最中は、何となく「渡ったら戻れない」とか「後ろ髪引かれる」「振り返ってはいけない」など、言葉では説明できない感覚を味わえる場所だと思います。
ふだん歩きや自転車で長さ1㎞を越える橋を渡る経験など、滅多にしませんから。
今回は端についてここまで調べたので、機会をあらためて「旧東海道の旅で渡る川ランキング」をやってみたいと思います。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 13



Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

Trending Articles