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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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TY20反町駅

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「反町」と書いて「たんまち」と読みます。
「ソリマチ」ではありません。
名前の由来は反物を扱う店が多かったからとか、田畑を故意に休耕させる「はずす」からなど諸説あります。
次が横浜駅で現在の東横線の終端ですから、あとひとつの駅です。
まだ地下化する以前は、東白楽方向のガード下には飲み屋さんが並び、駅のホームは高島台と呼ばれる山の北斜面にあって、駅のすぐ南側(横浜方向)にはトンネルがありました。
形状だけでみると、もう片方の終端である渋谷のひとつお隣の駅、代官山にそっくりです。
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(松本通り商店街)
 
反町駅からは、滝ノ川の支流である反町川をさかのぼってみましょう。
改札口を出たら目の前の国道1号線を左方向へゆき、70m先の反町駅前信号で国道を横断します。
そのまま正面の道を70mほどゆくと、右(東)から左(西)方向への一方通行路に出ますので、これを左折して西方向に向かいましょう。
この通りを、反町松本通り商店街といいます。
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大きな駅のお隣にある小さな駅の商店街は、かなり個性的な店が存在している確率が高いのですが、ここもご多分にもれません。
古い酒屋さんやお茶屋さんに混じって、「ハドソン靴店」という靴修理のお店を見つけました。
いまや靴も使い捨ての時代で、こうした職人さんのいるお店も珍しくなりました。
帰って調べたら、ハドソンは「ハンドソーン」が訛った店名だそうです。
路上からでも皮の束と大きなミシンが見えます。
 
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こうして仕事をしている姿を通りに見せるところが、素晴らしいと思います。
どこかに作業風景を見せてくれる鞄屋さんはありませんかね。
最近は店の軒先でパンク修理する自転車屋さんも少なくなりました。
昔はその周りに必ず膝小僧を抱えた少年が2人や3人たむろして作業を見つめていたものです。
子ども時代に、こうして仕事に集中する姿を見せてもらったことが、のちにひとつのことに打ち込む原点になったような気がします。
お父さんが会社でパソコンに向かっていても、何の仕事をしているのかさっぱりわかりませんからね。
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(はけの道状態です)
 
さて、そのまま商店街を直進すると、やがては国道1号線に合流します。
ここは横浜市営地下鉄三ツ沢下町駅付近です。
横断用の信号が目の前にあって、国道の対面の少し先にはいかにも暗渠のような路地が続いています。
こうして注意深く見ると、暗渠になった反町川が国道を斜めに横断しているのだと気が付きます。
まだ旧東海道がメインストリームだったころ、もちろん国道などはなく、この辺りは谷戸に流れる反町川と、川の水で潤っている田畑が広がっていたのだろうと想像してみます。
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(出た!行政による自転車走行禁止看板。う回路を明示しないところが不親切です)
 
国道を渡って暗渠歩道付きの路地に入ります。
すぐ南側に斜面が迫っており、はけの道状態です。
少し走ると車道は途切れて歩道のみになります。
「三ツ沢せせらぎ緑道」と名付けられたこの道はしかし、自転車走行禁止です。
この谷間の地図を改めてスマホで確認すると、およそ120mさきには小学校があり、その向こうへ通じる谷間の道は、この緑道のほかには国道しかありません。
つまり、緑道が走れないのなら国道を走るしか選択肢がないのです。
幸い、左折して緩い坂をのぼった場所に斜面を横切る路地がありましたので、そちらの道を選択しましたが、行政が自転車の存在を無視してようで悲しくなります。
 
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豊顕寺山門

さて、反町川右岸の斜面を横切る道を約500mゆきますと、つきあたります。
右側すぐの場所にあるのが、法華宗のお寺豊顕寺(ぶげんじ 35.475501, 139.604775)です。
ここでいう法華宗とは日蓮宗の一派で、このお寺は北条早雲の家来衆だった多米氏の建てたお寺だそうです。
多米氏は青木城(現在の反町駅南にある本覺寺=次回登場します)城主だった家柄で、もとは三河の国の多米村(現在の豊橋市東部にある多米町付近)の郷士でした。
早雲がまだ伊勢新九朗を名乗っていたころ、彼に従って関東に下向し、小田原城攻めに功があったということです。
豊顕寺の裏手は市民の森になっており、豊かな斜面緑地を残しています。
桜がたくさん植えられているので、春に訪れたらきれいでしょう。
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(裏手の市民の森)
 
さて、豊顕寺から国道に戻れば、そこが市営地下鉄三ツ沢上町になります。
そのまま国道を豊顕寺入口信号で渡り、正面の路地を入って突き当たったら左折します。
ゆるいのぼりを350mほどゆくと、県道13号線に突き当たりますので、すぐ左手の交差点で横断し、国道1号線の三ツ沢公園入口交差点に戻りましょう。
なぜこのような回り道をしたかというと、この交差点が歩道橋のみ(しかも半分はスロープ無)で自転車では非常に横断しづらいからです。
ここは自動車道路である第三京浜終点と横浜新道の起点になる保土ヶ谷ICが近く、横浜で車に乗る人にはお馴染みの交差点です。
しかし、こうして自転車で来てみると実は歩行者や自転車に優しくないと気が付くのでした。
 
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交差点に面したマンションの裏手に、滝ノ川あじさいロードのアーチがかかっているので、この道を走りましょう。
アパートの裏手の遊歩道(自転車走行可能)をゆくと、畑が広がります。
急に郊外の雰囲気になりました。
あじさいロードの入口から400mほど、第三京浜道路の高架下脇に野菜の直売所があります。
上は首都高と横浜新道の分岐点で、家から横浜や鎌倉、湘南方面に車で行くときは必ずといってよいほど通る場所なのですが、その下にこんな直売所があるなんて、全く知りませんでした。
高速道路の周りなんて何もないだろうと高を括っていましたが、来てみないとわからないものです。
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そのままあじさいロードを進むと、大池道路に合流しますので、そのまま反町川の源流を目指します。
ところで、大池道路って何かと思ったら、この辺りの谷戸に昔は大きな池があって、この付近の重要な水源になっていたのだそうです。
この池は三ツ沢池と呼ばれ、三つの沢が水源だったところからこの地名がついたという説もあります。
横浜市民なら皆知っている三ツ沢公園は、1964年の東京オリンピックの際にサッカーの会場になった場所で、いまはJリーグの試合も行われる規模になっています。
但し、三ツ沢池自体は埋め立てられ、倉庫や工場が立ち並んでいるので、今は面影がありません。
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(上の道路はしょっちゅう走っているのですが)
 
そのまま大池道路をさかのぼると、谷戸が狭まってゆきます。
両側の斜面は畑が広がり、これが横浜駅のひとつ裏手の谷間なのかと訝しくなります。
このまま大池道路をすすんで山を越えると相鉄線の和田町駅付近、北側の山を越えると交通の便が悪い羽沢の鉄道貨物ターミナルですから、横浜駅近郊でも最も宅地化が遅れている地域だというのは理解できますが、ブロンプトンでお散歩している分には昔の雰囲気が残っていてありがたいことです。
大池道路が上り坂にかかるひじりが丘バス停で左折し、反町川の谷のほぼゆき止まりにあるのが、横浜国立大学の北門です。
ということで、反町川の最奥は横国の裏門だったというオチなのでした。
本来なら、ここから国大キャンパスをお散歩するのですが、長くなるのでこの辺で。
 
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次回は反町駅から横浜駅へ「山越え」して、東横線の終着駅に向かいたいと思います。
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