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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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高野山へ行ってきました

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先日、仕事の関係で高野山へ行かせてもらいました。
金剛峯寺では、若いお坊さんから短い講話を聴く機会がありました。
印象的だったのは、冒頭に「仏教というのは奇跡を語らない宗教なのです」とはじめられたこと。
なるほど、確かに仏説は本で読んでいると科学じゃないかと思うくらい合理的で、聖書の中にあるお話とは一面において対照的です。
その後、根本大塔や金堂など壇上伽藍を見学した後にお宿へ向かう頃には、午後に降り出した雨が本降りになっておりました。
イメージ 1
(向かって右が胎蔵曼荼羅で大日如来の世界をあらわし、左が金剛曼荼羅で同じく智をあらわすということです)

今回、はじめて宿坊に泊めていただいたのですが、なかなか良い経験でした。
「明日の朝は5時半起床、6時からお勤めになります」といわれ、早く寝なきゃとお布団に入ったのが23時ごろ。
ところが同室の皆さんが午前4時には起きたため、わたしも布団をたたんで真っ暗なロビーに明かりがひとつだけ灯っていたのを幸いに、昨晩からの続きで腰かけて本を読んでおりました。
読んでいたのは先代の座主先生が著した、その名もズバリ「高野山」という本です。
面白かったのは、前日の午後のバスガイドさんの話と、翌日の寺社ガイドさんの話をこの新書は殆ど網羅していたことです。
おそらく、二人とも読んでいたのでしょう。
外は真っ暗で雨がしとしと降っていましたが、やがて空が次第に明るくなり、5時半になると、カン、カンと起床を告げる半鐘が鳴りだしました。
イメージ 2
(宿坊)

本の中で、わたしがいちばん心をうたれたのは、弘法大師空海が若年時代の苦悩と、それを取り除くために唐への留学を志し、恵果和尚に巡り合ったくだりを、のちに「性霊集」に回顧している文章です。
有名な話ですが、一緒に入唐した最澄に比べて、空海はこの時点では名もない若き一私費留学僧でしかありませんでした。
ちょっと長くなりますが引用します。

「私は生まれながらにしてもっていた性格に触発されて、苦悩を打ち砕く生の本源を探りたいと悩んでいた。
だがそこに行き着く道が見つからない。
分かれ道に出会うたびに、幾たび涙を流したことだろうか。
その熱い心がついに仏菩薩を通じて、密教の経典に出会うことができた。
ところがその内容が理解できない。
そこでこの疑問を解消するために仏教の本場の中国に行きたいと望んだところ、天がその願いに応じて入唐できて、すばらしいお師匠さんと出会うことができた。」
(「高野山」松永有慶著 岩波新書より)
イメージ 4
(この本を全然違う本を探していて、たまたま巡り合ったのですが)

洋の東西を問わず、聖人と呼ばれる人は同じことを考えているみたいです。
この一文は、いま読んでいるアウグスティヌスの「告白」とそっくりですもん。
仏教ではこういう出会いを因果応報とか仏縁というのでしょうけれど、キリスト教では奇跡と呼ぶのです。
仏教自体は奇跡を説いていなくても、こうした出会いがあるからこそ、そしてその出会いを感謝して大切に育んだからこそ、いまの高野山があるわけで、それは何にもかえがたい宝であることに間違いはないでしょう。
私も、たとえそれがどんな出会いであったとしても、自から相手へケチをつけるような人間だけにはなりたくないなと思った次第です。

「私はこの行脚が少しでも楽にならないかと悩んでいたところ、思いもかけない方法でブロンプトンと出会うことができた。
しかし、この道具をどう利用したらよいかが分からない。
そこで思い切ってお客さんに尋ねてみたところ、すばらしい答えを授かった」
そんな風になれたら幸せです。
イメージ 3
(今年は春先が寒かったせいで、連休中の山内では桜とシャクナゲが同時に楽しめたそうです)



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