今回、湯田中から長野電鉄の特急に乗って長野駅近くにある宿へと帰りました。
16時43分湯田中発の特急は運賃1160円に対して特急料金はたったの100円です。
運よくもと小田急ロマンスカーの車両(長野電鉄1000系ゆけむり号)が入ってきたので、先頭車両のパノラマシートに座りました。
学生の頃、駅のホームで単語帳めくりながら、なんど恨めしくこの車両を見送ったことか。
いまこんな形で憧れていた座席に腰を下ろすなんて。
もう少し遅い特急なら混んでいたのでしょうけれど、半端な時間に乗車する人は少ないようです。
これもブロンプトンを使って早くから山で遊んでいたおかげです。
ここに座ると、駅のホームで電車を待つ人たちが、こんな風に見えたのですね。
ずっとブロンプトンを押し歩きしたせいか、程よく冷房の利いた車内でウトウトしておりました。
今回初めて座って気がついたのですが、ロマンスカーの展望シートは暑いし逆光になると眩しかったのです。
電車は湯田中から長野へ、善光寺平とよばれる長野盆地のなかを、単線でのんびりとくだってゆきます。
北信五岳といわれる斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱の山々が、午後の光線のなか、葡萄畑の向こうにシルエットとなって浮かび上がっています。
朝に山の上から雲に浮かぶこれらの山々を見たときも素敵でしたが、こうして里から仰ぎ見る山々というのも、違った味わいがあります。
ふだん、ここに暮らす人たちはこうした山に見守られながら生活を営んでいると思うと、冬の厳しさもふくめて、こういうところに生まれ住んだら、どんな気持ちになるのだろうと感じるのです。
途中、夜間瀬、信州中野、小布施、須坂、朝陽、権堂など、長野電鉄には途中下車してみたい駅がたくさんあります。
なかでも信州の小京都といわれる小布施と、善光寺の門前町にあたる権堂は、小径車で走ると楽しい路地がたくさんある場所です。
ただ途中下車しなくても、湯田中から長野まで路線延長は33.2kmと、東急東横線より10km程度長いだけで、しかも湯田中を起点にすれば、ほぼずっと下りになるので、通しで走るのは楽かと思われます。
また、これからの季節(ゴールデンウィーク前後)は菜の花がきれいで、信州中野駅から北陸新幹線と飯山線が交差する飯山駅方面へ走っていって、千曲川の岸に咲く菜の花を見るというのも楽しいと思います。
「菜の花畑に入り日薄れ」という歌いだしで始まる「朧月夜」の作詞者(「ふるさと」の作詞者でもあります)、高野辰之氏の出身地は中野市永江であり、記念館もあります。
ついでに、唱歌の「朧月夜」を現代語訳してみました。
なぜか口語文にしたほうが、風景が(悪い意味で)ぼやけてしまうのです。
古くて、権威的で、いかめしいと感じる人もいらっしゃるのが文語です。
じっさい、同じ唱歌の「早春賦」なんて、歌を聴いただけでは字もわからないし、意味もわかりません。
しかし、わたしは口語文よりも、簡潔な中にその情景がありありと脳裏や瞼に浮かばせ、かつ格式高く感じさせる文語体は、嫌いではありません。
もともと、日本語は話し言葉と書き言葉は明快に分かれていたとききます。
どっちが優れているとか、今も通用する、使われなくなって久しいではなく、それぞれの役割に応じて味わえばよいと思うのです。
菜の花畑に 入り日薄れ 見渡す山の端 霞深し
春風そよ吹く 空を見れば、 夕月かかりて 匂い淡し
菜の花畑のむこうに沈みゆく太陽が霞むと
見渡すかぎりの山々の麓に、霞が深くかかってゆきます
そよそよと春風の吹く空を見あげると
夕方の空には月がかかって、ほのかに菜の花が匂うのでした
里わの火影(ほかげ)も 森の色も 田中の小路を たどる人も
蛙(かはず)のなくねも、かねの音も さながら霞める 朧月夜
里の家々からもれる明かりも、森の緑も
田んぼのあぜ道をあるいてゆく人影も
カエルの鳴く声も、お寺の鐘の音も
まるですべてが霞んでしまうような、うすぼんやりとした春の月夜の風景でした。
次回はこの志賀草津道路をブロンプトンで遊びつくすのに、どこへ泊ったらよいかを考えて、このシリーズを終わりにしたいと思います。