Quantcast
Channel: 旅はブロンプトンをつれて
Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

旧東海道へブロンプトンをつれて 39.池鯉鮒宿

$
0
0
イメージ 1
(現代の矢作橋)

愛知県知立市内の旧東海道と衣浦豊田道路の交点、新田北交差点(35.002352,137.059927)から西へ向かいます。
その前に、38番目の宿場、岡崎宿の広重版画をご紹介するのを忘れていましたので、ここで取り上げたいと思います。
いままですべての宿場についてご案内してきたのに、ここで抜けてしまうのは残念ですから。
イメージ 2

岡崎宿の版画は、宿場の西はずれ、矢作川にかかる矢作橋から、岡崎宿方面を振り返った構図になっています。
今の風景とくらべたくても、広重の絵はデフォルメやら創作がかなり混じっているので、あまり参考にはなりません。
歌川広重の頃の矢作橋は現在のそれよりもやや川上にかかっていたといいますが、そうすると岡崎城の位置関係がおかしくなります。
イメージ 3

 
新田北交差点から国道1号線を横断する御林(おおはやし)交差点(35.003463, 137.054506)までは、480mながら道路両側に見事に松並木が続いています。
この付近はむかし引馬野と呼ばれ、毎年の4月末から五月初頭にかけて、馬市が開かれていました。
これらの松並木は、その際に馬をつなぐために設けられたとも伝えられています。
松並木の後ろには、馬の彫像があったりします。
イメージ 4
(左に見えている歩道橋が明治用水西井筋緑道
 
イメージ 5

広重の版画にも、池鯉鮒宿は馬市の様子が描かれています。
手前に馬を売りに来た農夫が二人います。
その向こうの、談合松とよばれる大きな松の木の下には、馬喰や馬飼いたちが集まって馬の取引をしています。
そこへ向かって弁当箱を両天秤と肩にたくさん担いだ売り子が向かっています。
談合松の向こうには、低い丘が描かれていますが、これが前回ご紹介した八ッ橋のかきつばた園あたりの丘陵ではないかといわれています。
イメージ 6
(御林交差点)
 
御林交差点には国道を渡る横断歩道がありません。
一号線を80m西へいったさき、イスラム寺院か正教会かと思うような葬祭場脇の地下道をくぐる(35.003863, 137.054172)か、交差点より120m旧東海道を東側へ戻ったところにある歩道橋(35.002772, 137.056429)を使いましょう。
地下道にしろ、歩道橋にしろ、自転車用を押し歩きするためのスロープはついています。
なお、後者は明治用水西井筋緑道になっており、西は名鉄三河線の刈谷市駅から、東は明治用水の本流まで、歩行者・自転車の通れる緑道が整備されています。
明治用水本流をさかのぼり、矢作川の取水点をさらに越えて川沿いに北上したなら、日本一の企業城下町豊田市駅近くまで、のんびりと自転車で走れます。
旧街道もよいですが、たまにはご当地サイクリングロードを走って、その土地の人たちの生活に触れてみるのも面白いと思います。
そちらの方が、観光地でもないですし、ブロンプトンに乗らなかったらおそらく一生行くことのなかった場所でしょうし、どんな出会いがまっているかわかりません。
 
イメージ 7
(御林交差点をわたったら、細い道を選択します)

国道一号線を渡り終えると、道はふたまたに分かれます(35.003930,137.053461)。
右の名鉄三河線をオーバーパスする上り坂上下二車線の道(県道51号線)ではなく、左の細い道が旧東海道です。
左端には池鯉鮒宿の入口を示す石柱がたてられています。
270mさきで名鉄三河線(単線)を踏切で渡ります。
踏切から550mさき、右に家具屋さんのあるお向かいに小さな石の常夜灯(35.006566, 137.045141)がたっています。
これをみかけると、宿場の中に入ってきた気分になります。
常夜灯から160mで県道51号線に復帰しますが、直後の中町交差点(35.007253, 137.043283)を横断します。
中町交差点の左手には、えびすやさんという呉服屋さんと、山城屋さんというお茶屋さんが、古そうな佇まいで並んでいます。
イメージ 8
(中町交差点)
イメージ 9
(ホテルとホールの間を抜けます)
イメージ 10
(池鯉鮒宿本陣跡入口)

 道なりに細い路地に入り、ホテルの裏とホールの間を抜けてやや広めの通りを横断歩道(35.008158,137.042127 信号機あり)でわたり、左手に和菓子屋さん、郵便局を見ながら次の路地を左に曲がりましょう。
ここまでごくごくゆるい上り坂で、中町交差点から220mです。
左折して70mで県道51号線に出ますので、手前左側の空き地の向こう側を見てみましょう。
池鯉鮒宿本陣跡(35.008189, 137.041129)はここです。
池鯉鮒宿は猿渡川と逢妻川に挟まれた、丘の上にあります。
いままで、水利の関係から川のほとりにある宿場が多かったのですが、台地上というのは珍しいかもしれません。
といっても標高は13mしかありませんが。
イメージ 11
(知立宿本陣跡)
イメージ 12
(お風呂屋さんの突き当りを右折します)

ところで、現在は「ちりゅう」について「知立」の字をあてています。
しかし、江戸期は「池鯉鮒」と表記されていました。
これは、周囲の低地に鯉や鮒など淡水魚を養殖する池があって、旅人はこの地の川魚料理を楽しみにしていたからなのだそうです。
江戸前期の歌人、烏丸光広に次のような歌があります。
 
この里の名におひたりとみさかなの料理をしたる池の鯉鮒
 
そういわれてみれば、三河線の踏切と中町交差点の間にうなぎ屋をみたし、本陣のお隣は路地をはさんでやはり古そうな割烹が控えているのでした。
ここでお昼になったら、こうしたお店で川魚料理を食べるのも良い思い出になると思います。
ちなみに「ちりゅう」は頭にアクセントがあるのではなく、後ろの「りゅう」にアクセントがあるのだそうな。
イメージ 13
明治天皇駐蹕址の碑がある場所が、知立城址です

70m戻って旧街道に復帰し左折します。
120mほどで突き当たるので右折します。
曲がってすぐ左手の児童公園が知立城址(35.009684, 137.040544)です。
平安期から戦国前期の頃、ここは知立神社の神主である豪族永見氏の居所でした。
戦国期に入ると、今川方の松平宗家に仕えますが、1560年の桶狭間の戦いの直後に、織田氏による追撃戦で落城したといいます。
当時の永見氏当主だった永見定英は、お隣の刈谷城主、のちに徳川家旗本となる水野氏から嫁をもらい、娘を設けました。
この娘がのちに徳川家康の側室、お万の方(長勝院)となります。
なお、家康側室に「お万の方」(於万とも)は二人おります(もう一人は養珠院)ので、注意しましょう。
家康って正室、継室、側室と奥さんが20人以上いました。
健康オタク、運動オタクだったというし、臆病さと裏腹に何に執着しているんだか…です。
イメージ 14
(了運寺前にて この時は雪が降って大変でした)
 
イメージ 15
(国道155号線を地下道でくぐります)

知立城址を通り過ぎると、すぐ正面が浄土宗の了運寺(35.010233,137.040941)で突き当たりますので左折します。
関東ではあまり見られない、山門に鐘楼をのせた形のお寺です。
了運寺まえで左折すると、110mほどで国道155号線に出ます。
手前右側に地下道入口(35.010596, 137.039981)があるので、くぐりましょう。
(自転車押し歩き用のスロープあり)
イメージ 16
(知立神社入口)

地下道出口から150mほど緩やかな下り坂をすすみます。
二つ目の角(35.012351, 137.039597)を右に曲がると、70mほどいった先の左側にあるのが、知立神社(35.013055, 137.040802)です。
境内には菖蒲池が広がっています。
ここに祀られている神さまの名前、「伊知理生命」(いちりゅうのみこと)が、知立という地名の由来らしいのです。
現代ではなにやらハイソなお名前の神さまでいらっしゃいますな。
ただこの神さま、江戸期から現代にいたるまでの当社の祭神にその名は見当たらず、伝承のみに存在する神さまで、謎に包まれているのだとか。
江戸時代の知立神社は、マムシ除けとして有名だったそうで、この辺にも周囲が湿地帯だった事情が見え隠れしています。
イメージ 18
(総持寺)

旧東海道に戻ります。
くだり坂の左側にあるのが、天台宗の総持寺です。
平安時代、第三代天台座主の円仁上人がこの地を訪れた際、毒蛇に噛まれ重篤に陥りました。
そこで知立神社に祈願したところ、たちどころに治癒したためここに寺を開いたのが創建のきっかけだそうです。
知立神社がマムシ除けの理由は、こちらのお寺にありました。
時代が下って江戸時代、このお寺はお万の方生誕地とされています。
さらに時代が下って明治時代、神仏分離令によってこのお寺はいったん廃寺となり、住職は知立神社の神官になりました。
国家神道になる前の、地域におけるお寺と神社の関係がよくわかるエピソードです。
イメージ 17
(逢妻橋)
 
旧東海道に戻って坂を下りきると、逢妻川にかかる逢妻橋(35.014465,137.037755)の袂に出ますので、橋を渡ります。
逢妻川は豊田市が源流で知多半島東側の衣浦(きぬうら)港へと注ぐ河川です。
1988年、東海道本線に逢妻駅が新設されましたが、旧東海道からはかなり下流で距離もあります。
逢妻橋を渡り切って80mさきの逢妻町交差点(35.015976, 137.036907)で国道1号線に出ます。
次回はこの逢妻町交差点から国道1号線を西へ向かいます。
イメージ 19
旧東海道ルート図
本宿駅入口~知立駅入口
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1fbb21cb26530060c59b7378871576e3
知立駅入口~金山駅入口
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=451c126d388a124117f3f8b94d995a6f

Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

Trending Articles