お正月に久々に自分一人で車に乗って出かけて、たまには車の運転もいいものだと感じていたら、帰宅直前に自分の斜め後ろの車が、渋滞の最後尾で追突されるという事故を目の当たりにしました。
私の車が事故車の破片をかぶるほどに近かったので、スローモーションに見えたのですが、追突された車はジャックナイフみたいに一瞬倒立していました。
こんな少ない確率で運転しているのに、事故をお隣で目撃するなんて、しばらく運転しないうちに、スマホ操作などのわき見運転が横行して、路上の事故遭遇率が跳ね上がっているんじゃないかと訝しく思いました。
(家の近くの多摩川。信号待ちの間に撮影しました)
そんなこともあってか、昨夜は就寝前に悲惨な自動車事故の動画を見ました。
すると、夢の中で自分の運転する車が走行中に故障してしまい、ひっくり返る夢を見てしまいました。
ケガはなかったものの、修理代をきいて頭を抱えているところで目が覚めたのですが、その朝に、スキーバスの痛ましい事故のニュースが入ってきました。
昔サーカスというグループに「ホームタウン急行」というお題の歌がありましてね。
出だしの歌詞はこんな感じです。
『ホームタウンまで 切符をちょうだい
ちょうど 夜明けに 着く汽車の
駅には彼が 待ってるはずなの
結ばれるのよ 私たち』
子どもの頃、『鉄道公安官』というドラマのエンディングに流れていて、「駅に別れが待ってるはずなの 結ばれるのよ…」って変だと思っていました。
「駅には彼が」じゃなくて、「駅に迎えが」だったら混同もなかったでしょうに。
(冬の朝、小雪のちらつく軽井沢駅にて 列車が碓氷峠を越えてこの駅に到着すると、乗客もホッとしたものでした)
今はネットで予約から清算まで可能ですから、切符をちょうだいって窓口に言うことも少なくなりました。
(みどりの窓口でそのまま言ったら、怪訝な顔をされるでしょうね)
ちょうど夜明けに着く汽車も、ブルートレインをはじめ夜行列車がほぼ全滅してしまった今となっては、存在しませんから。
冬場のシュプール号も無くなってしまったはずです。
すべては、高速道路網の発達によって、高速夜行バスと格安ツアーバスに対抗できなくなったからだときいています。
(中央線の小淵沢駅 駅からの眺めといい、その名の響きといい、小海線の乗換駅という点も含めて、情緒のある駅だと思います)
大きな事故があったから書くわけではありませんが、自動車やバスは安全性に限界があると思うのです。
大学生の時にスキー場で毎冬アルバイトしていたときは、往復の足としてツアーバスは安く割引運賃で乗れたのですが、あの閉塞感と旅情の無さが嫌で自腹を切って鉄道を利用していました。
もっとも、お金のない大学生ですから、特急ではなく夜行の急行列車を利用していました。
その時だって、バスごと川に落ちて20人以上もの大学生が亡くなるという悲惨な事故があり、他人事ではないと感じました。
(総武線の車窓から見る茜雲とスカイツリー)
自動車産業を発展させたり、高速道路網を整備したり、運輸業界を自由化した人たちは、「便利さ」とか「経済性」を優先して、あえて「安全」とか、「ヒューマンエラー」という問題点に背を向けてきたのではないかと私は思います。
そして、車を持つようになってから、いつのまにか鉄道を利用しなくなっていた自分の過去を振り返っています。
いまは鉄道旅行しても、駅からの足がタクシー以外に無く、それこそ「駅に迎えが待っているはずもない貧乏旅行者」は、どうしようもない状況におかれています。
(行けるなら、北陸新幹線など使わずに、中央線で八方へ行きたいです)
あの頃、真冬に夜行列車でスキーに向かい、改札口を出たときに正面にピンク色に染まる白馬三山を眺めて、息をのんだ光景は記憶の中にだけ生き延びています。
翌日スキーできなくてもいいから、古い友だちと夜行列車でウヰスキーでも飲みながら語り明かしたいなぁ(笑)
冬に空が暗い時間帯に列車に乗る機会が増えるので、余計にそう感じてしまうのです。
コストは高くても、安全マージンだと思えば鉄道は他に比べてずっと安全で盤石な移動手段だと思います。
ブロンプトンのような折りたたみ自転車が普及して、鉄道とがっちり手を組んで、「旅人間版ピギーバック輸送」でもって鉄道が復権したらいいのにと、痛ましい事故のことを思いながら考えてしまうのでした。
(この色の電車もめっきり見なくなりました 両毛線足利駅にて)
若いころは甘ったるいと思っていたけれど、今晩はチャイコの『悲愴』(チャイコフスキー交響曲第六番)でも聴きながら読みかけの本を抱えて床に就こうかと思います。
(あの曲、うつ病の人が聴くと病気が進行するって本当なのでしょうか?)