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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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旧東海道へブロンプトンをつれて 33.二川宿から34.吉田宿へ

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JR東海道本線の二川駅前から、吉田宿へ向かいます。
駅から200mほど西へ進んだ左側(34.726592, 137.436573)に、「右 東海道 伊良胡阿志両神社道」と彫られた石碑がたっています。
ここから左に折れて、田原市の阿志神社、伊良子神社方面へと至る、渥美奥郡道の分岐点にあたる道標です。
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 (左;JR東海二川駅 右;渥美奥郡道分岐の碑)

さらに250mすすむと火打坂交差点(34.727908, 137.434709)で県道を横断します。
ここから火打坂の上りにかかります。
坂の左にそびえる丘は 岩屋山(34.732477, 137.429238)という小山で、いまは緑地公園になっています。
岩屋山はチャートと呼ばれる堆積岩の一種でできており、この石同士を打つと火花が散ることから、このあたりは火打石がよくとれるということで、この坂の名前になったそうです。
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(火打坂下の交差点と、坂の途中から岩屋山の山頂を望む) 

東海道本線や新幹線の線路に向けた岩屋山の南斜面の中腹に、わりと大きな観音が立っていて、列車の車窓から良く見えます(34.731194, 137.426676)。
この観音は天平のむかしに、行基上人がこの地を訪れて千手観音を刻んで安置したのがはじまりと伝えられています。
白須賀宿の際に池田綱政が宝永地震による津波から難を逃れた話をしました。
彼は夢に出てきた観音のお告げにより、二川宿へ移動したため助かったわけですが、事後、岩屋観音に深く帰依し、観音経や石灯篭を寄進したそうです。
戦前の観音は太平洋戦争中に供出されてしまったため、現在の像は1950年に再建立されたものです。
山頂の展望台からは、豊橋市が望見できます。
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(旧東海道は信号手前を左へ入ります)
 
火打坂をのぼってゆくと、540mほどでピークを過ぎ、その先120mほど下ると信号(34.734247, 137.433470)があるので、ここを左折します。
実は昔の東海道は坂の頂上付近で斜め左に折れ、まっすぐ北西に向かっていました。
いまの状況で説明すると、蕎麦屋さんの駐車場を抜けて、町の集会場の玄関先を横切り、ホームセンター裏の砂利道を抜ける形になります(詳細は地図を参照のこと)。
どこにも柵やロープが無く、立入禁止にもなっていないため、徒歩でも、自転車ならちょっとした段差を抱えて越えれば抜けられないことはないのですが、駐車場は私有地なので常識的な判断にお任せします。
一番良いのは、お蕎麦屋さんで食事をして、精算の際に断って通してもらえば問題ないと思います。
210mほどで迂回路と合流しますが、ここまで来て忠実に辿りたいとなれば、そこまでやる意味もあるかもしれません。
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(左;う回路の左折交差点 右;旧東海道とう回路の吉田宿側合流点)
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(岩屋山裏手の旧東海道とう回路)

道は柳生川に向かってゆるい下りになっていて、途中にクロマツ跡碑(34.738393,137.424789)がありますが、2007年の時点で枯れ死して切株だけになっていました。
切り株に石碑だけの樹木跡って寂しいです。
坂を下りきって旧国道と合流(34.738909, 137.423915)し、その先殿田橋(34.746747, 137.414494)で柳生川を渡り、直後に現在の国道1号線と合流します。
合流点に飯村一里塚跡碑(34.747198, 137.414033)が立っています。
ここまで、二川駅前から3,460mです。
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(左;クロマツ跡碑 右;その先で旧国道1号線と合流するので右折します) 

ここからは国道1号線を走ることになります。
すぐに左側へ渡るわけにもゆかないので、一里塚跡から480mさきの山中橋東信号(34.751662, 137.412564)で、国道を横断しましょう。
上下4車線の国道1号線は、交通量も半端ではありません。
車道に余裕が無いわけではないのですが、大型のトレーラーなども走っているし、ちょっと自転車で走る気分にはなれないので、歩道をゆきます。
歩道と車道の間はガードレールでがっちりと隔てられていますが、歩道もそれなりの広さはあるものの、歩行者と自転車が分離して走るほどの道幅もなく、バス停や歩道橋などで狭くなっている箇所もあるので、注意して進みましょう。
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(殿田橋と飯村一里塚跡碑の国道1号合流点)
 
これから愛知県に入ると、特にこうした主要国道を走る場合、自動車中心の世界だなと感じることが多々あります。
自分が住んでいる横浜市や東京都区部も車は多いのですが、それと並行して鉄道やバスなどの公共交通機関が網状にはりめぐらされているので、それほど自動車ばかりが移動の中心だという印象は受けません。
しかし、こちらの方は公共交通機関が全く無いわけではないとはいえ、それはあくまでも端役で、移動の手段は車が中心のため、どうしても自家用車が目立ってしまうのです。
他の地方に行っても、条件は変わらないのですが、愛知県は人口の多さが他と比較にならない割には皆が鉄道を利用しないので、どうしてもそういうことになってしまうのでしょう。
自分の家がこちらだったら、ブロンプトンの使い方もかなり違った形になったのかもしれません。
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(左;飯村一里塚跡碑 右;次の交差点までは国道右側の歩道をゆきます)


そんなことを考えながら、延々と国道脇の歩道を北西に向かいます。
途中「延命地蔵尊」と彫られた大きな石碑の建つ寿泉寺(34.760702,137.407211)の山門と三重塔が目立つくらいで、これといった見どころもなく、緩いアップダウンを繰り返して一里塚跡から2.5㎞すすむと、前方に路面電車の走る大きな交差点に至ります。
ここが東八町の交差点です(34.765884, 137.399907)。
路面電車は「とよてつ」と呼ばれる豊橋鉄道の東田本線で、そのまま進行方向へ向かう電車に乗れば、豊橋駅前に連れて行ってもらえます。
もっとも、ここ東八町から駅までの2.2㎞を時間帯によっては20分もかかるので、自転車で走るのと大差ないかもしれません。
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(左;国道1号線は車道も歩道も自転車にとって走りやすい道ではありません 右;寿泉寺)

東八町の交差点は上に歩道橋が掛かり、横断歩道はおろか自転車の横断レーンも路上にはありません。
信号も変則五差路で路面電車も走っており、車の動きが複雑なので、大人しく歩道橋を押し歩きして渡りましょう。
しかし、この歩道橋も向きによっては自転車を押すスロープが付いておらず階段のみだったりするため、回り込む必要があったりして、本当に自転車はプライオリティが低いことが分かります。
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 (左;東八町交差点。歩道橋で向かい側へ横断します 右;東惣門)

歩道橋で交差点を渡った向こう側には、吉田宿の木戸だった東惣門(ひがしそうもん)が保存されています(34.765691, 137.399618)。
門の脇には番所と馬を繋ぐスペースがあり、朝6時から夜22時まで(意外と遅いですね)開いていました。
ということは、22時以降は一般の通行が禁止されていたため、旅人は宿場に入れず、宿駅内に宿泊することができなかったということでしょうか。
まぁ、何事も例外のある江戸時代のことですから、絶対に通さないということでも無かったと思います。
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(左;写真左手の中央分離帯に東海道の道標が立っています)

さて、東八町から旧東海道は複雑な道をたどります(詳細は地図を確認してください)。
東八町交差点から中部橋方向へ南西に50mいった路地を右折し、90m先の二本目の路地を左折、さらに70m先の二本目の角を右折します。
最初の右折地点は、なんと道路の中央分離帯に道標が設置されています。
車は物理的に右折できないのに、なぜ歩行者から見えにくい場所にわざわざ目印を置くのでしょう。
謎です。
門から入って最初の町名が鍛冶町、そのお隣が曲尺手町なので、ここが宿場の隅だったことがよく分かります。
こんな風に宿場の入口の道路を鍵型に曲げるのは、防衛のためでしたよね。
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 (吉田宿江戸側の旧東海道ルート)

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(この辺りはナビにコースをセットしておいた方が、地図とにらめっこするよりも分りやすいと思います)

その先で豊橋公園からまっすぐ南へ伸びる通りと交差します。
上下4車線の車道に真ん中がクスノキの並木になっていて、交差点の30m北側の中央分離帯に「曲尺手門史碑」(34.765820, 137.395060)が建てられていますが、いかんせん車がひっきりなしに通る中央分離帯の中にあるので、そばに寄って確かめるすべがありません。
あんなところに史跡を建てるということは、車の窓からでも拝めということなのでしょうか。
先ほどの道標といい、この石碑といい、設置者の意図には首を傾げたくなります。
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(左;曲尺手門史碑 右;うどん屋さんの角を左折)

通りを渡って1ブロックゆき、左前方に嶋田屋という名のうどん屋さんのある角を左折します。
うどん屋さんは蕎麦や丼ものも扱っていますが、蕎麦屋を名乗らないでうどん屋を名乗るあたり、すでに西日本の文化圏に入ってきていることを実感します。
50m先でセンターラインのあるイチョウ並木の道に突き当たるので、右折します。
280mほど西へ進むと、札木という停留所(34.766312,137.390269)の脇で、先ほどの豊橋鉄道の路面電車の軌道が走る広い道を渡ります。
これが田原街道と呼ばれる国道259号線です。
この先すぐが吉田宿の中心になりますので、今回はここまでにしましょう。
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(左;突き当り正面に道標が見えます 右;豊鉄の札木電停脇を横断します)
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 次回は吉田宿の中心へ入ってゆきます。
旧東海道ルート図 (二川駅~本宿駅入口)

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