今日から道路交通法が改正されて、自転車の運転による講習に関する規定が入りましたね。
14項目の違反について、3年以内に2回以上繰り返す自転車利用者に講習の受講を義務付けて、未受講者には罰金刑を科すというものです。
ニュースなどでは「何それしたら違反」のような表現をしているところもありますが、14項目については、自転車にとってはこれまでどれも違反とされてきたものです。
ただ、講習を義務付けることになり、そこから逃れたら罰金刑に処するという話のようです。
これまでも曖昧だなと思ってきた違反項目は多々あるのですが、その話は置いておきます。
(文章と写真は関係ありません。今回の写真は、プロのカメラマンさんに撮影していただきました。当たり前ですが、やはり違いますね)
私は罰則を強化することによって規則に従わせ、それによって安全を担保するというやり方には反対です。
「強化しなければ悪くなる一方だ」という意見も分かりますが、そうしたやり方は、ある面で人間の成長の機会を奪っていることになるのではないでしょうか。
講習が嫌だから、罰金を支払うのが惜しいから規則に従っているというのなら、そこには何の自由もないではありませんか。
本当の自由とは、規則を破る自由の陰には、罰則が無くても規範を守ろうとする自由もあって、その事実を知るのは人生の醍醐味だったりするわけです。
たとえば、「他の皆がやっていても、私は歩行中に携帯電話をいじらない」という自由を試してみるとします。
すぐに他人に対する嫉妬や怒り、自分にとっての怖れや不安が出てくるものです。
しかし、それを材料に「自分は何者なのだろう?」と考え、それを乗り越えたうえで携帯やスマートホンとの距離が取れるようになったなら、それらを絶えずいじっていないと気が済まない人たちや、規則に縛られて鍵のかかった場所に保管しておかねばならないままの人たちよりも、大きな自由を獲得したことになるのではないでしょうか。
もう、携帯が無いと落ち着かないという生活ともおさらばできますしね。
ところで違反自転車の検挙についてふと疑問に思ったのですが、どうやって本人確認するのでしょう。
運転免許証や、パスポート、しかるべき機関の発行した写真付きのIDカードを所持していない場合、どうするのでしょう。
これ、運転免許の携帯を義務付けている自動車とは大きく違う点だと思います。
おそらく、防犯登録の番号からするのかもしれません。
これまで私も何度か都内で停められて、神奈川県で登録した番号を無線で紹介していたのを見たことがあります。
ということは、自転車の防犯登録も全国規模のデータベースになっているということなのでしょう。
ちなみに、あの防犯登録って有効期限があるってご存じでした?
登録した日の翌年から10年間なのです。
自転車なんてどうせ10年以内に買い替えるだろうという世の中で整備されたシステムですが、いまや100万円を超える自転車が存在します。
ブロンプトンのような折りたたみ自転車だって、そこまで高価でなくてもあれだけ値が張って、折りたたんで毎日屋内に収納する自転車なら、10年以上乗り続けるのはしごく真っ当のような気がします。
乗れば乗るほどあちこちに行った思い出が積もって、とてもじゃないけれど簡単に買い替える気にはなりませんしね。
そのような、自転車との幸せな関係を続けている人間にとって、今回の道交法改正は道路での自己を振り返るチャンスかもしれません。
自転車に乗っているときには、歩行者や自動車の運転手にはこの自転車の存在がどう見えるだろうと考えてみます。
逆に歩行者として、車の運転手として通行しているときには、自分は目の前の自転車をどのように思っているだろうと振り返ってみます。
色々とネガティブな感情が湧いてくることもあるかもしれませんが、それらを糧に自分の立ち振る舞いを見直せるなら、それも「諍い果てての契り」につながるのではないかなと思います。