武蔵小杉は最近「むさこ」と呼ぶ人がいるのですが、それだと武蔵小山や武蔵小金井と混同してしまう気がします。
もともとは「こすぎ」と呼ばれていました。
駅も新丸子のところで説明したとおり、東横線や南武線の前身が建設された当初は設けられず、やがて「グランド前停留所」という小さな停車場が南武線側に設けられただけでした。
東横線の方は、いま府中街道をガードでまたいでいる南側に工業都市という名前の駅がありました。
グランド前と工業都市なんておかしな名前の両駅ですが、今のようになる以前の武蔵小杉界隈を知っている人からすれば、みたままのネーミングだったと思います。
そんな武蔵小杉がタワーマンションの林立する今のような姿になったのは、つい最近のことです。
ブロンプトンで走ると、以前はなかったダウンバーストのような突風を感じるようになりました。
武蔵小杉には市立の大きな図書館(中原図書館)があって、3階建ての別棟がほとんど閲覧室でした。
社会人席なども設けられていて、学生時代から試験勉強によく通ったものです。
2013年に新しくなってタワーの方へお引越ししてからは行っていません。
読書や勉強って不思議なもので、家に居てもやらないのに図書館にいって皆がやっているとはかどるのですよね。
学校でも図書室や図書館に通っていると、司書の方と顔見知りになって、「それ読んでいるのだったら、今度はこれを読むと面白いと思うよ」なんて教えてもらっていました。
何よりも静かな環境が落ち着きます。
さて、武蔵小杉駅ではいま流行りのショッピングモールに行っても仕方ないので、北口の八百八橋碑へまず行ってみましょう。
前回登場した大楽院や山王日枝神社の項目でも
ここは今から200年前、この地で「ほしか」という肥料の生産で財をなした野村文左衛門という商人が、事業で得た利益を地域に還元しようと、この地域に多かった用水路に八百八基の橋をかけていったということの顕彰碑です。
昔はいたるところに彼が寄進した石橋があったそうですが、今は道路が拡幅されて現役の橋はなくなってしまいました。
南武線の線路をはさんで反対側、中原区役所に併設された保健福祉センターの中庭にも、石橋の一部が保存されています。
夏などは草に覆われて、知っていなければ踏み石と勘違いしてしまいそうです。
こんどは南口へまわり、府中街道を武蔵小杉駅入口信号で横断し、そのまま進みます。
次回詳しく述べますが法政通り商店街を150mほど南へすすむと、今市橋という橋で細い用水路を渡ります。
これが二ヶ領用水です。
春は桜の花が咲き、お花見の人出がある場所です。
用水路に沿って上流に向かってみましょう。
少しゆくと、渋川が分岐している水門のある場所にでます。
このように、このあたりは用水路が張り巡らされて昔から稲作がさかんだったと聞いたことがあります。
たしか昔の地名も稲毛の庄だったとおもいます。
ところどころに、水面までおりられる階段がついています。
川沿いの道にブロンプトンをとめて下りてみましょう。
両岸から桜の木が枝葉を広げて日陰をつくり、水端は夏でもひんやりとして心地よい風が吹いています。
そのまま1.1㎞ほど上流へさかのぼってゆき、小杉十字路の脇にあるのが浄土宗のお寺、泉澤寺です。
世田谷の烏山にあった吉良氏の菩提寺が1549年に火事によってここへ移ってきたのだそうです。
寺領もひろく、世田谷のボロ市同様に市が立って、往時はとてもにぎわったそうです。
正面の中原街道は車がひっきりなしに行き来していますが、このお寺の境内に入ると空が広く感じられます。
さて、泉澤寺まで来たのですから、等々力競技場に立ち寄ってみましょう。
境内の裏手、二ヶ領用水が中原街道を越えるひとつ上流の橋を渡って府中街道に出れば、道を挟んで向かい側が等々力緑地の入口です。
新丸子の回でご紹介しましたが、「とどろき」と読み、多摩川をはさんで都と神奈川県の両側にこの地名はあります。
等々力という地名は、支流の川が滝のような落差でもって本流に合流するとき、音がとどろくところからこの名がついたという一説があるそうです。
すると、等々力渓谷のある世田谷の方が地名の由来に近いのかもしれません。
この公園は大きくて博物館もあるのですが、いかんせん武蔵小杉駅から歩くには距離があるので、あまり気軽に行ける場所ではありませんでした。
ずっと緑の原っぱというイメージだったのですが、Jリーグのチームが公園内の競技場をホームスタジアムとして使うようになって、スタジアムを改修、整備するようになってから、等々力というとサッカーのイメージが定着するようになりました。
いまでも武蔵小杉はサッカーチームの小旗やペナント、ポスターをあちこちで見かけるようになりましたが、それはごく最近になってからのことです。
こうして自転車で来てサッカースタジアムを見上げると、観戦など一度もしたことない自分でも、試合のある日は歓声がすごいのだろうとおもいます。
スタジアムの裏手には池があって、釣り人がのんびりと糸を垂れています。
ここも基本のヘラブナ釣りのようです。
餌や道具を売る店の隣には、食堂もあります。
大人一日一回750円って、安いのか高いのか、自分にはさっぱりわかりません。
そして陸上競技のトラックをはさんであるのが、川崎市民ミュージアムです。
まず目につくのがミュージアム正面広場に産業遺産として展示されている大きな転炉です。
転炉とは、金属精錬用でブランコのように回転するポットのことで、テレビなどの製鉄所のシーンで真っ赤な溶鋼をなみなみとたたえているあれです。
エントランスを入って吹き抜けの空間から正面コロッセウム風の階段をのぼると、無料の博物館展示室があります。
ここに川崎の歴史が古代から順にまとめられて展示されています。
ここで目を引いたのは、川崎宿の模型です。
きちんと土地の区割りが示されており、宿場がバックヤードも含め、どのように機能していたのかがわかるようになっていました。
残念ながら館内の写真撮影は禁止されていましたが、この博物館展示だけでもじゅうぶん見ごたえがありました。
ほかに有料の展示が期間ごとに入れ替えているようで、漫画に関してのテーマが多いようです。
なによりも、夏場は広い館内にクーラーが効いておりますし、入口の右側には持込みOKの無料のレストハウスがあります。
かなり駅から離れているので、週末に行ってもあまり混雑していません。
ここで陸上の選手たちの練習をのんびりと眺めながら、お昼などを食べるというのがよいかもしれません。